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梅林や梅干の歴史、種類などを紹介します.
そして、紀州の梅干屋がおいしく梅干を漬けるコツ を伝授します。おいしい梅干を作りたい人は必見! |
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およそ1300年前に、南部地方を支配されて
いた御名部内親王が、梅を好まれ植えられたの が始まりとされています。 |
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江戸時代、田部藩の藩主安藤直次が梅の栽培に
興味を持ち、南部町埴田地区の梅畑の税を免除 したことがきっかけで、南部川に沿って梅林が 広がっていったとあります。 |
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紀州藩主時代に梅干の保存を奨励しました。
南部でもこの頃から梅栽培がさかんになり、江 戸に梅干を送るようになっていきました。 |
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慶応元年(1865年)に、現在の南部川村に生
まれた内中翁は、30代の頃、貧しい村を救う ため、梅の栽培を考えつきます。 彼は明治34年に自分の山を開墾して梅を植え、 その後工場を建て、生産、加工、販売の一本化 を計るようになります。 この方法が次第に広がり、生産量は年ごとに増 大していきました。当地の梅生産が今日あるの は内中翁のおかげと、生地にはその功績をたた えた碑が建てられています。 |
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粒が大きく、皮が絹のようになめらかで果肉が厚い南高梅は、 梅のトップブランドとして、全国の皆様に親しまれています。 その南高梅は、このようにしてできたのです!!
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明治35年頃に成った高田梅。
高田貞楠さんの梅60本の内、特別に優れた1本 の梅樹を大切に育て継いだのが今日の南高梅です。 |
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育ての親・高田さんの名と、その梅を選定した先生の勤める県立南部高校
の名を記念し、「南高梅」と名付けられました。 その母樹は、みなべ農協前の広場に移植されています。 |
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販売用の梅干は徳川末期ごろ南部町の濱口松次郎氏が製造したと言われています。
明治初年頃、日高郡の2〜3の製造業者や西牟婁郡湊村の庄司富八郎氏がやや大規模に 経営を営み、その後漸次発展し、明治40年頃には東京、大阪、横浜に出荷する道が開 かれ、加工業者が増加しました。 |
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梅の加工品はたくさんありますが、その大部分は漬物であり、加工品向けの約90%が
漬物(梅干、梅漬け)です。漬物以外では梅酒、梅ドリンクなどの飲料として7%程度、 甘露梅、梅ジャム、梅エキス他で3%となり、特に飲料としての消費量は今後増加する ものと考えられています。(数字は平成5年) |
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